クルージングを主にして活躍するセーラーのための
     <マリンマリン><タカ>海難事故報告書の読み方

                                                       高田 尚之
                                       



 クルージングを主にして活躍するセーラーのための
      <マリンマリン><タカ>海難事故報告書の読み方

 「・・・・・ゴムボートと海水との接点は氷のように冷たかった。寒さと水不足、飢えとの戦いだった。」これは奇跡的に救助された<タカ>のクルー、佐野さんの報告書に盛られた証言の最後の部分である。報告書には随所に生還した2人(もう一人は<マリンマリン>の久保田さん)からの証言が引用されていて、それらを読むと本当に身の引き締まる思いがする。
今回の事故はたまたまレースをきっかけとして起こったが、多くの人々が以前から指摘しているとおり『日本の海こそ、世界の中でも最もその不可知さに満ち満ちた最も変化の激しい、凶々しい水域』(石原慎太郎氏の序文から)なので、ハーバーが見える範囲だけで行動するセーラーならともかく、外洋に出かけていくセーラーにとっては、実際には、いつ<マリンマリン>や<タカ>が遭遇した気象海象に巻き込まれるかもしれないのである。自然は、人間に対して誰彼の区別をしてくれないし、いくら慎重に予測してもその予測が大外れすることはよくあることだからだ。
 大きな目でこの報告書を見ると、この報告書は2つの観点から構成されている。その第一は、<マリンマリン><タカ>の事故が天災ともいえる気象海象によって起こったのかどうかという観点、第二は、天災でなければ、どのような形で人災として起こってしまったのか、という観点である。
 今回発表されたNORCの報告書は、それを判断するための事例をできるだけ正確に集めた、いわば、事例集ともいうべきもので、その事例をどう読み取るかを、読む側にまかせている。その意味でこの報告書は、いろいろな読み方ができると思う。
 ここでは、クルージングを中心にして活躍するセーラーにとっての、この報告書の読み方の例を提示した上で、この事故から学ぶべき教訓や緊急事態での対処の仕方を一緒に考えてみようと思う。もとより報告書は400字詰めの原稿用紙換算で480枚にも及ぶ量であり、したがってここで触れることができるのは報告書のほんの一部分にしか過ぎないことをお断りしておきたい。
 結論からいえばこの報告書は、今回の事故は天災ではなく、「ヒューマン・ファクターの影響が極めて大きく、残念ながら不可避の事故であったとは言いがたい」とし、「連鎖したアクションの、どれか一つでも状況が変わっていれば、これほど多くの犠牲を生むことなく、事故を最小限に食い止め得たかもしれない」としている。


貴重な気象データの統計
 報告書はまず、<マリンマリン>や<タカ>が遭遇した気象海象が、過去の同時期のそれと比べて特別に過酷であったのかどうかを検証することから始まっている。
 年末年始の長期休暇を利用して伊豆諸島を経由、小笠原やグアムへとクルージングを計画しているセーラーにとっては、この報告書のグアムレース各回の気象海象の解析は、KAZI誌90年1月号の馬場邦彦氏の「日本からグアムまでの気象と海象」のレポートとともに、貴重な資料として使えるだろう。
 いままで、オフショアを目指すセーラーが目標のひとつにする小笠原や、さらに足を延ばしてグアムまでの航海に役立つ気象海象についての本格的な分析が、前途の馬場邦彦氏のレポート以外になかったのは不思議なくらいだ。たまたま今回の事故をきっかけとして、NORCからその資料がセーラーに与えられたというのは、ある意味では意義深いことだといえる。


謎を残す<タカ>の転覆の原因と復原の理由

 さて、<マリンマリン>と<タカ>の事故が起こって以来、一般の人々をも含めて、セーラーの間で最もショッキングで話題になったことといえば、クルーザーが転覆して長い間起き上がらなかった事実であろう。その結果、このような場合、どう対応したらよいのかが分からなくなってしまっているのではないだろうか。
 今日まで報道メディアを通じて言われたことを整理してみると、ひとつは、「セーリング・クルーザーは安全であると信じていた。引っ繰り返ってもすぐ元にもどるものと思っていた」という考えであり、その後、専門家を通じて、「−とはいうのもの、裏返しになって、ローリングひとつしない瞬間が訪れ・・・・・」という解説が加えられ、事実、<タカ>の場合のように40分もの間、裏返しになったままになることもあり得るのだということであった。
 セーリング・クルーザーでもネガティブの復元力が働いて、裏返しの状態のままになってしまうこともあるのだというのは現時点で我々はよく認識した。
 が、その後の処置の仕方となると、どうもいまひとつすっきり納得できないでいるのが現状ではないだろうか。
 <タカ>の場合、転覆がなぜ起きてしまったのかの明確な回答は、事故報告書の中からも見い出せない。今後実験などを通じて今回解明できなかった原因などをさらに明らかにしたいとしているので、それらに期待したい。
 いっぽう、この報告書を読むと、艇の設計図画や艇体の計測値から、自分たちが今乗っている艇の復原能力をかなり正確に計算できるということが分かる。
 この結果、多分これからのヨットのセールスマンは「うちの艇の復原力は○○度ですから」と宣伝するようになるかもしれない。またレースを主体に活躍する人々の間では、ルールの改正とともに、レースのカテゴリーによって復原力で参加資格の足切りが行われるようになるため、当分の間、艇の「復原力の値」に注目が集まることになるだろう。
 つまりここ数年間は、艇の復原力が、艇を評価したり購入したりするときの議論で大きなファクターになることが予想される。
 ただこの議論に参画する場合の大切なポイントは、報告書でも分かるとおり、目下のところ、計算の基礎になるものはシアーラインから下だけであり、シアーラインから上の形態などはまったく計算外であることである。
 もっとも、クルージングを主体に活動しているセーラーにとっては、いまさら艇を簡単に買い換えられるわけではないし、実際問題として、復原力の値が5度や3度違ったからといって、それで目的としている航海をとりやめたり、オフショアに出ることを止めたりすることはないだろう。
 したがって、クルージング・セーラーにとっては、今回の一連の事故のうち、「転覆の事態」になった場合、どう対処するのがベストなのかを、この報告書から読み取ればよいと思う。


もし、転覆してしまったら・・・・・
 <タカ>は転覆しても、すぐには沈まなかった。ところが、<マリンマリン>は転覆後、たった30秒から1分の間に艇内に水が入り、その結果、艇から脱出できたのはたった2人だけであったと推測され、その他の人は艇内で溺死してしまったと考えられている。
 <マリンマリン>の場合はキールが脱落し、それが原因で転覆したので、ひっくり返った時に艇の中心で一番高い部分から空気が一挙に抜けてしまった。そのため、極めて短い時間に艇全体に浸水し、その結果たった1分という短い間に悲劇が凝縮されてしまったのである。
 転覆したときは、艇内にいかに空気をたくさん残さねばならないかが、これでよく分かるのである。
 水が浸入するのはマストまわりだという。艇がひっくり返ってしまったら、船底のすべてのコックは直ちに閉鎖せねばならない。いや、荒天準備のひとつとして、これは転覆する以前にやっておくべきだろう。
 <マリンマリン>と<タカ>の悲劇の差は、当然のことながら、艇内に残っていた空気の量によると考えてよいだろう。
 <タカ>の場合はスターンの方から水が入ってきたものの、クルーが全員艇の外に出た時にはまだ、相当の空気が艇内に残っていたと報告されている。
 この報告書をよく読んでみると、<タカ>のクルーがあの段階で艇外に脱出したのは賢明な策であった、との示唆はない。むしろ艇内に留まり、艇内にある程度水が入り、艇が不安定になる。この時、マイナスの復原力がこの不安定要素によって変わるので、外界からの力だけを待つのではなく、中に留まったクルーの体重移動などによって積極的に復原したほうがよい選択肢であったのではないかとの強力な示唆をしている。
 「もし・・・・・」というのは誠に酷な話ではあるが、艇内にクルーがもうしばらく留まっていたら、差し板の流出をもまぬがれていたと考えられるし、その浸水量は復原後に十分排水可能なはずであったと計算されている。
 つまり、
「たとえ裏返しのままになっても、あわてて艇外に脱出しないで、差し板とハッチをがっちり閉め、船底から空気の逃げるのを極力防ぎ、徐々に浸水するのを恐れず、水がある程度入って艇が不安定になるのを待ち、中に留まったクルーの体重移動などによって積極的に復原させるというのがベストの方法である」と読みとって良いのだと思う。
 だが実際問題として、裏返った艇の中で差し板とハッチをがっちり閉め、徐々にでも浸水してきたら生きた心地はしないだろう。
 がまんする浸水量は、<タカ>の場合で上の差し板までの水量のおよそ半分と計算されており、つまり、腰から胸くらいまでの高さまで浸水してこないと艇が起き上がらないこともあるのである。このことを、この際よく頭の中で整理しておくことが肝要だろう。
 この報告書には、もうひとつ注目すべき示唆がある。
 それは、裏返しになった艇にある程度水が入って復原するときには、どうもゆっくり復原するのではなく、急激に、クルリッと倒立から正立に復原するらしいことである。これは、佐野さんも証言している。
 先にも述べたが、艇内にいて体重移動などにより積極的に復原に努力しようとするときには、この点にも十分注意をむける必要があるだろう。急激にクルリッと復原する時に投げ出されれば、打撲・気絶などの危険が考えられるからだ。


ライフジャケットとライフハーネスの功罪
 <タカ>の場合、クルー全員が艇外に脱出し、艇体につかまっていたときに艇が復原したのだが、もし、復原するときに今回とは反対の方向に艇が回って復原していたなら、<タカ>のクルーのほとんどは艇から離れてしまっただろう。クルーのうち、ライフジャケットとライフベルトを着用して脱出していたのは、たった2人しかいなかったのだから・・・・・。
 <マリンマリン>と<タカ>の事故が起こって以来、従来から信じられていた「艇から離れないほうが生存の確率が高い」という考えが崩されたかに思われたが、この報告書をよく読めば、その考えは依然正しいことが分かる。
 さて、「艇から離れない方が生存の確率が高い」ことがわかれば、艇から離れないための装備、ライフジャケットとライフベルトにあらためて注目が集まるだろう。とくにクルージング・ボートが海に出る時、レースで乗り組んでいるより少ない人数で乗り組んでいることが多い。とすれば、クルージング・セーラーはレーサー以上に、より「艇から離れない方法」に気を配る必要があるだろう。
 そこで、視点を変えて「ライフジャケットとライフベルト」という視点からこの報告書を読み直してみると、様々な貴重な示唆が盛り込まれている。そして、あらためて、「いま普通に自分たちが着用しているライフジャケットとライフベルトは、それでいいのか」とのといかけをしてくれている。
 <マリンマリン>の事故は、ライフベルトを外していたクルーが落水したところから始まった。報告書によれば、<マリンマリン>は出航前、落水者の救助訓練もしっかり行っていた。それでも・・・・・。外洋での落水がいかに致命的であるかを、また知らされたわけだ。
 いっぽう、<タカ>のヘルムスマンは、転覆時にライフベルトで艇に体を確保していたと考えられ、それが外れずに水死を招いたと推測される。
 いずれにしても、通常我々が着用している「ライフベルト」はそれでいいのか、と報告書は問いかけている。我々のライフベルトは着けやすく、邪魔にならず、外しやすく、かつ、確保が確実であろうか。
 <タカ>の場合、転覆後にクルーが艇から脱出するとき、ライフジャケットを着ていなかった者が多かった。
 しかし「着なかった」というのは多分正確ではないだろう。荒れている海に、それも夜間、ライフジャケットを着ないで艇内から水に潜って艇外に脱出することなど考えられないからだ。
 では、なぜクルーはライフジャケットを着ていなかったのだろうか。
 この事故報告書には記載されたはいないが、転覆した艇からいったん水に潜って艇外に脱出するとき、おそらくライフジャケットの浮力が邪魔をして潜れなかったり、ひっかかったりして脱出できなくなるので、ライフジャケットを着けないで脱出したのではないだろうか。
 報告書には、<マリンマリン>でライフジャケットの浮力が艇内からの脱出を邪魔する事例を示している。
 <マリンマリン>の場合はキールが脱落し、たった1分という短い時間で艇全体が浸水した。艇内のクルーたちはキールが取れることなど予想することもなかったが、事前に艇長命令で艇内で全員がライフジャケットとライフベルトを着用していた。
 にもかかわらす、艇外に脱出できた2人のうちの1人はライフジャケットとライフベルトを着用していなかった。そして久保田さん(<マリンマリン>で生還したクルー)の努力にもかかわらず、彼は波にさらわれていってしまったのである。彼の場合も脱出時、水の中でライフジャケットの浮力が邪魔をしたために、ライフジャケットを脱いでしまったとしか考えられない。
 助かった久保田さんでさえ、ダイビングの経験があったにもかかわらず、ライフジャケットを着けていたためにその浮力が邪魔になり、脱出に1度失敗しており、2度目のトライでようやく艇外に脱出できたのである。

 船の転覆・浸水などという事例はめったにあることではないだろう。だが、こうした事故が現実に起こってみれば、「そのとき、どうすれば・・・・・」と考えざるを得ないだろう。
 現在普通に使っているライフジャケットは浮力一点張りで、それを着て水に潜ることなど考えていない。それはそれでよいとして、クルーザー乗りはそれとは別に「水に潜れ、かつ、浮力の必要な時には十分な浮力が得られるライフジャケット」を自分が必要とするかどうかをあらためて考えたほうがよいだろう。
 この報告書の教訓によりサクラ・マークのライフジャケットのほかに、普段は浮力を持たないが、ここいちばんで膨らんで浮力を持つ「インフレータブル・ライフジャケット」を艇内に用意したいと考えるセーラーが多くなるだろう。そして、どうせ新しく購入するのなら、水に浸かったらすぐに作動するオートマチック・インフレータブル・ライフジャケットより、航空機の客室に準備されているようなマニュアル作動式のインフレータブル・ライフ・ジャケットのほうがよいことがわかるし、さらにそれにライフベルトが組み込まれている製品を選択するのがよいことがわかる。
 外国にはこうした製品も市販されている。

 最後に、ライフラフトについて簡単に触れておきたい。
 <タカ>の悲劇は、ライフラフトを展開する際の誤りにより、より大きくなったといえるだろう。次のサバイバルの事例が起こらないことを願いながら、報告書の中では簡潔にライフラフトの正しい展開のポイントを次のように述べている。

 1:全員退避の準備をする
 2:ライフラフトのもやいが確実に艇体に固縛されていることを確認
 3:艇外へ放りだす
 4:全員が素早く乗り込む(もやいが切れて取り残される乗員あり)

 この報告書はNORCが日本のヨットマンに安全に対する関心をさらに高めてもらいたいとして、会員以外の一般セーラーにも頒布している。今回の事故は『ヒューマン・ファクターの影響が極めて大きく、残念ながら不可避の事故であったとは言いがたい』とレポートする報告書は、随所に様々な教訓が散りばめられている。ぜひ購入の上、全文を精読することをおすすめする。購入の申込は日本外洋帆走協会まで。ハガキまたはFAXで。

 今後この報告書について、さまざまな人の意見も次々に発表されるだろう。私たちはレポートの原文を精読するとともに、専門家のコメントにも十分関心を寄せ、自艇の安全をより高めていくべきだろう。
                                                      高田 尚之 (KAZI原稿)